九六フィートの高さから

それとなく落下 相対速度は限りなくゼロ

鬼と福とのリプレイスパーティ

昨日は友人の家に泊まった。一日遅れの恵方巻きもどきを各々作って食べた。恵方も向かなければ黙りもできずに。A4コピー用紙に印刷した鬼とお多福と鈴木福のお面を各々付けてアー写を撮った。その後眠るも定期的に目が覚めてしまう。隣に眠る友人の不規則な寝息を聞いて再び眠った。起きる時刻の少し前にまた目が覚めてしまったので、そのまま起きて身支度をして、起きた友人に礼を言ってひとりアパートを出た。

 

大学の集中講義があり、日曜の誰もいない校舎へ向かう。授業でトルコ系ドイツ人映画監督の『おじいちゃんの里帰り(邦題)』を観た。これがとてもいい映画で、泣いてしまった。トルコから出稼ぎ移民としてドイツに渡った家族の物語で、移民というデリケートで根深い問題を扱いながらも、それを包むもっと大きな家族愛というテーマを併せ、さらにコミカルで軽妙な展開もあいまって、明るくて心温まる作品になっている。移民問題とか不勉強で知識もなくてわかんないなとおもうけれど、こういうライトな作品を入口に、身近な問題として想像できるのはありがたいことだなあ。

 

昨日別の友人と初めて葉ね文庫に行って、短歌の本を一冊買った。『桜前線開架宣言』という本。

 

 

桜前線開架宣言

桜前線開架宣言

 


70年以降生まれのいろんな現代歌人の歌を読めるので、初心者の私にもってこいだろうと思って買ったけれど、ほんとうにもってこいだった。ばっちこいだった。まだ最初の大松達治と中澤系しか読んでいないけれど、楽しい。両方歌集が欲しくなってしまったのであとが怖い。たった31文字でいろんな(もっといい語彙が欲しい)心象風景を見ることができるのが、なんちゅうこっちゃ、という感じ。好きな歌がいっぱいあって楽しい。味わう感情はもちろん楽しいだけではないのだけれど、すべて含めて楽しい。 いい世界。

バイトと配当

一月が終わってしまう。

その前にバイトのことを書いておかなければ。

 

大学生になって、10月になって、

やっとバイトをする決心をして、

11月から1月半ばまで、

某大手雑貨屋チェーンの文具売り場で働かせてもらった。

最初はレジ打ちだけ、途中からは手帳担当に配属された。

 

これが初めてのバイトだった。

バイトとしてどういう立ち振る舞いをしたらいいのか、

従業員としてお客さんの前にどういう顔をして立てばいいのか、

本当に分からなかった。

 

レジ打ちも最初は自分でも驚くほど緊張して、

上手く喋れないし上手くお釣りも渡せない。

敬語も想像以上に自然に口から出てこない。

しまいには「いかがなさいましょうか」なんて意味不明な、

それ誰に敬意の方向向いてんの?という言葉が口から飛び出る始末。

これはさすがに言った直後に自分でも笑った。

 

仕事はレジ打ちか、手帳の整理整頓と品出し。

あとはその時その時に頼まれたことをやる。

お客さんが出した手帳を綺麗に戻し、戻し、戻し、

見本だけになっている商品があれば在庫を出し、出し、出し、

お客さんのお問い合わせにアワアワしながら走り、走り、走り。

 

働きながら考えるのは、

こんな単純作業だけの仕事は辛いな、ということ。

バイトだからこそ簡単な単純作業しかできないわけで、

仕方ないというかバイトなんてそんなものだと思うけど、

もしこれが一生の仕事だったら、と思うと、

それはやだ!!とばかり思っていた。

 

でも、売り場に立ってお客さんに直に接する仕事を初めてして、

自分の対応にすぐに反応が返ってくることは勉強になった。

自分の対応次第でその反応は変わる。

下っ端だから分からないこともたくさんあるけど、

ちゃんと丁寧に対応すれば、優しく待ってくれるし、

単なるレジ打ちでも、知らない人とでも、今自分はこの人とコミュニケーションをとっているんだと感じる時があって、そういう時は嬉しい気持ちになる。

 

あとは途中で入ってきた同い年のバイトがめちゃくちゃフランクなやつで、

羊と人間のハーフみたいなコミュ力おばけだったけど、

そいつはこれまでにもコンビニとか回転寿司とかでバイトしてきたみたいで、

この店は先輩がちゃんと働いててびっくりした。

って言ってて、そうなのか!!とこちらが驚いた。

僕はこの店の環境しか知らなかったから、こういうものかと思っていたけれど、

かなり働きやすい環境だったようだ。

 

確かに、周りの先輩たちはみんないい人だし、

僕は単純作業ばかりでつまらなくないのかな?と思うけれど、

みんな割と活き活きとしていた。

 

二ヶ月働いて、つまらない、こんな仕事ずっとはできない、と思っていたけど、とても勉強になったし、十分に働けたかな、多少は役に立てたかな、と思えたし、何より世の中の働いている人たちを間近で見られたのはいい経験だった。

小売業は大変なお仕事だけど、やっぱりどうしても必要な役割だし、

人と人とのやりとりはこの世界の基本だなと思った。

 

お勤め人はすごい!

 

二ヶ月間頑張って稼いだお金で、僕は京都に下宿します。

もちろん親に出してもらうお金の方が多いけど、家具とか必要なものはできるだけ自分で出したいと思っている。

一人暮らしは、一つの挑戦で、どうなっちゃうんだろうという不安もあるし、自分と見つめ合わなきゃならない課題がどんどん山積してきていて、この一年は自分が大人になる上でとっても大事な一年になりそうな予感がすごい。

示唆に富んだ出来事が新年早々多くて参っちゃうね。

 

また新しいバイトも探さねば。

頑張ります。生きるぞ!

通学と空白

昨年僕は大学生になった。

ここしかないかな、と思った第一志望の大学に入ることが出来、初めての大学生活というものを送っている。

 

受験生のときは、楽しかった。

高校は楽しかったけど、高校生としての生活はなんだか窮屈な感じがして、早く自由を手に入れたいと思っていた。

そして大学生になること、あの大学に行くこと、それがその道に違いないと思っていた。

受験勉強はゲームのようで、やればやるだけ出来ることも増えたし、周りには同じ方向を見ているように思える同級生がいたから、しんどくても、つらくはなかった。

 

そうして大学生になった僕は、すぐによくわからなくなる。

 

 

僕が通っている大学は、自宅から片道二時間かかる。

だけど下宿は二回生からと言われていたし、最初は通おうと自分でも思っていた。

つまり毎日往復四時間を移動に使うことになる。

 

期待して入った大学だったが、入ってみると、その実周りは同じような表情をした若者が集まっているだけで、その遊びたい盛りのエネルギーに満ちた空気に馴染むことはできないと思ったし、言い換えると、馴染んでやるものかという反発もあった。

大して面白くもないノリで笑い、授業をサボることこそ大学生の真髄だと言わんばかりの大声で充満している食堂。

そしてその矢は自分に返ってきて、ああ、俺もその中の一人なわけか、と落ち込む。

 

僕が選んだ学部は、自由が売りのうちの大学の中でも一番自由、何をやってもいいしなんでもできる、逆を言えば何もしない何もできない学生を量産し、就職もできない学部である。

でも僕はその自由さを選んだし、その中で何かをやってやろう、何かできるだろうという自信はあった。

授業の選択も語学以外はそれぞれの好みで組めるし、卒業までの単位の指定もゆるい。

僕は興味のある授業、興味を持てるかもしれない授業を選んで履修した。

けれど、実際のところはもちろん面白い授業ばかりではない。

ただただ一時間半座っているだけの修行のようにしか思えない授業も一つや二つではなかった。

授業が終わると、まっすぐに駅へ向かう。

疲れていて早く帰りたかったし、実際、二時間かかるわけで、語源を受けてまっすぐ帰っても、家に着くのは8時を過ぎる。

次の日もあるし、僕は睡眠時間を削るのは苦手というか、苦痛なタイプだから、そうするしかないのである。

 

電車通学は、悪くないけど、やはりしんどい。

一限のある日は通学通勤ラッシュのタイミングだから座れないけれど、一限は週に1日しかないようにしたし、それ以外の日は座れるから、本を読むなり、勉強するなり、音楽を聞くなりして、それほど無為な時間になるわけではない。

だけどやっぱり公共の場所には変わりなくて、ただ乗っているだけでも少しずつ何かを消耗してゆく。

かつ、そうして行った先につまらない授業が待っているのことが多い。

 

朝早く起きて、電車乗って、二時間後に大学に着いて、つまらない授業を受け、薄暗い場所で薄暗い気持ちで昼飯を食べ、また授業を受け、一目散に帰って、寝る。

その繰り返しで2016年前期は過ぎて行った。

 

そんなとき、「俺は何をしているんだろう」とどうしようもなく思ってしまう。

ピークは6月ぐらいに来た。

何をやってもつまらないし、何かをしているとは全く思えなかったし、なのに毎日ヘトヘトで、残るものなんてほとんどなかった。

ただ一度しかない時間をずるずると消耗していっている意識だけが頭から離れない。

 

大学生になったら、ずっとやりたかったバンドでオリジナル曲を作るのをやろう!ほぼできないまま

友達といっぱい遊んだりすんのかな平日は普通に家帰るし、休日に遠出するほどのエネルギーもない。

彼女いない。というか恋がわからない。

 

できない、やってないばかりが増えていく感覚に苛まれる。

苛まれていることに疲れ、疲れていることに疲れる。

 

 

 

本当にそんなに何もない生活を送っていたのかというと、実際は大学生になって増えたこともあった。

 

まずは映画をよく見るようになった。有り体に言えば映画にハマった。

きっかけは受験終了後の3月に見た『リップヴァンウィンクルの花嫁』だった。

初めて映画を見ることを”体験”だと感じた。

ストーリーが面白いとか、画面が綺麗とか、そういう一個一個の要素を超えた根深い何かが胸に直接ぶち込まれたような。

これが映画を観るということかと思った。

 

それからはよく映画を観るようになったし、いろんな映画に興味を持つようになったし、見た映画について人と話をするようになった。

人と話して、他人がどう感じるのか知ることは面白い。

自分が一人で見た以上の体験に押し上げてくれる。

また、僕は感情が遅いたちで、あまり号泣したりすることはないのだけど、だからこそ、人がどういうところで泣くのか、よく考えるし、人と話をして、それを知る作業はとても興味深いものだと思う。

このあたりの話題に関してはまたいつか書きたいと思っている。

 

あとは、夏休みに高校の同級生と先輩と三人で、徳島県に免許合宿に行ったことは、僕の人生においてもとても大きな出来事だったと思う。

自分は行動力が乏しいところがあるから、自分の手では見られない景色を二人が見せてくれたし、こんなカッコつけた言葉で語るのがおかしいくらいバカらしくて、とんでもなく楽しかった。

 

 

 

こんな2016年前半を送っていた僕が後半に入ってバイトを始めます。

初めてのバイトから得たもの、考えたことについて次は書こうかな。