九六フィートの高さから

それとなく落下 相対速度は限りなくゼロ

『大きい犬』と秋の床

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 秋が来た。突然やって来た。

 夜すげー涼しい。昼間も真夏の密度がどこかへ行ってしまった。

 僕は夏が苦手なので秋の到来をとても喜んでいるけれども、あまりにも急に夏が去ってしまって、それはなんだか寂しい。あんなにしつこく体にまとわりついてきたじゃないか! あんなに理不尽に体力を奪ってきたじゃないか! しょっちゅうちょっかい出してくるからちょっと邪険にしてた友達が挨拶もなしに引っ越して行ってしまって、めちゃくちゃ仲良かったわけでもないのになんかすげー寂しい、みたいな気分。なんてわがままなんだ俺は。

 

 今日は母が下宿に来てご飯を食べたり散歩したりした。なんて散歩に適切な気候なんだ。気持ちがいい。季節の変化をひとと共有できるだけで、とても楽しくて満たされた気持ちがした。

 散歩いっぱいしよう。

 

 

 8月に誕生日を迎えた妹に、ある漫画を買ってプレゼントしたのだけど、それがあまりにも素晴らしい漫画なのでその良さについて書きたいと思う。

 スケラッコさんの『大きい犬』。

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 黄緑とオレンジの二色が効いた表紙。そして大きい犬。大きい。家くらい大きい。ちょっとキツネにも見える。ハッハッと置き字がされているのもかわいい。

 この漫画はデザイナー・イラストレーターとしても活動しているスケラッコさんの短編集で、表題作「大きい犬」を含む7作が収録されている。

 「大きい犬」は友人に留守番を頼まれた高田くんが友人宅の近所にいる大きい犬に出会い、仲良くなろうとするお話。高田くんは犬語が喋れる。長いことその場所にいる大きい犬は退屈しているので、犬語が話せる高田くんと仲良くなっていく。しかしある日突然大きい犬がいなくなってしまい……

 この先は買って読んでください。

 正直言って、この短編集に載っているお話全て、ものすごい展開やオチがあるわけでもなく、大きな寓意が秘められているわけでもない。だけど、すごく、いい。

 この良さを言葉にするのはなかなか難しい。

 生きてたら、なんだか空虚な気持ちになることがあるし、それが積み重なると胸の中にザラザラしたひび割れみたいな穴が空いてしまったような感覚になる。だけど僕はとても怠惰なので自分でその穴をなかなか埋められない。

 こういう穴を埋めてくれるのが、やっぱり物語だ。

 僕はこの一冊の漫画に、ザラザラした部分をさらっと撫でられて、滑らかな気持ちになった。やさしいのだ。

 どの物語も設定自体はかなりぶっ飛んでいると言っても過言ではない。だけど、その非日常を非日常として派手に描く漫画ではなく、僕にとっては非日常だけど、彼らにとってはただの日常で、だからいたって平和でありふれた優しさがそこには満ちている。

 

 ある日おじいちゃんが「私は七福神の1人、えびすさまなんや」と告白し、解散していた七福神を集めて福を届ける旅に再出発しようとする「七福神再び」も、給食が大好きで大好きでたまらない少年・ホーライくんが「給食のおばさん」になってみんなが喜んで食べてくれるおいしい給食を考える「給食のおばさん ホーライくん」も。

 拍子抜けするほどささやかで、おだやかで、あたたかい。

 

 晴れた秋の昼下がり、窓を開けて風を通して、床に寝そべって読むと最高だ。

 ぜひ近くの書店で買って、このささやかさに触れてほしい。

 

p.s.

 発売記念のTシャツプレゼントキャンペーンに申し込んだので、近々大きい犬の顔が大きくプリントされたTシャツを着た僕を見かけると思う。だからその時は犬語で話しかけてほしい。

マイ・スウィート・乳歯

 僕の永久歯は4、5本足りない。抜けたとかではなく、そもそもない。これは完全に遺伝だ。例えば上の前歯のすぐ隣が両側ないから、前歯の隣に犬歯がきている。乳歯が抜けた隙間に寄ってきたのだ。おかげで歯を見せて笑うと吸血鬼のような鋭い印象を与えることになる。吸血鬼は言い過ぎたかも。もうちょい間抜けな感じ。

 永久歯の不足と顎の小ささが原因で、噛み合わせもなかなか悪い。多少矯正してもらったおかげで正面から見たら別にそんなに違和感はない程度にはなっているのでさして支障はない。そこは本当に親に感謝している。でも上下の前歯がかみ合っていないので、前歯で肉を噛み切る、みたいなことができない。これは結構不便。上の前歯の方が前に出ているのだ。ちょっと出っ歯気味というか。相対的出っ歯。そのせいか、サ行の発音が苦手だ。これはずっと気にしている。

 

 そんなわけで左下のやや奥のほうの歯も永久歯がなく、未だに乳歯が持ちこたえている状態なのだが、そのかわいい乳歯ちゃんが虫歯になってしまい、いよいよ穴が空いてしまったのだ。実はこれ、もう1ヶ月くらい前からその状態なのである。幸い痛みはなかったが、放置していたらどんどん悪化するだろうし、なにしろ大事な大事なマイ・オンリー・乳歯なわけだから、失うわけにはいかなかった。でも夏休みに入り、帰省やら遊びやら怠惰やらでなかなか都合のいい日がなく(言い訳)、今日やっと、行ってきた。

 実に4年ぶりくらいの歯医者である。実家の頃に通っていた歯医者からなぜか定期健診の案内が来ないことをよしとして、ずっと行っていなかったのだ。僕は割と歯磨きが好きなほうで、いつも10分くらい磨いてしまう(でも歯間ブラシは好きじゃない)。だから(理由になってない)まあ大丈夫だろうと思っていたし、実際大丈夫だった。なのに穴が空いてしまった。というか欠けたのかな? ショックだった。

 

 下宿の近くにある歯医者に今日朝イチに電話すると、朝イチで診療してもらえることになった。急いで髪を整えて向かう。保険証を出して問診を書いて席に通される。あの定番の歯医者チェアに座る。

 僕は昔から歯医者チェアの、コップを置いたら水が出るところが好きだった。久しく歯医者に行っていなかったからそんなことは忘れていた。コップをおかずに指で押して水を出したりして遊んでいた。

 背が倒され、口を開ける。

 これまた久しぶりのことだったので驚いたのだけど、口の中を人に見せるのって恥ずかしいことなのだ。昔はそんなこと考えもしなかったけど、この永久歯の足りない歯並びを、未だに残っている乳歯にあいた穴を、斑らに白くなった舌を、他人に見られることだったんだと思った。そして歯医者さんは毎日何人もの人のそういうものを見ていく仕事だったんだ。

 

 ETの頭のようなライトに口元だけを照らされながら、容赦なく診察は進む。

 歯医者さんは不親切だ。人の歯を見てひたすら一つずつに対してこちらにはわからない言語でコメントして行く。1から4、3。5、E。みたいな(テキトーです)。3ってなんだ、Eってなんだ。こちらは自分の歯に不安を持って歯医者に来たのに暗号ばかりで不安は高まるのみ。まあそれは仕方のないことだと思うけど、今日の歯医者さんは時折「うぅ……」と唸るのである。なに?! なんで唸るの?? そんなにやばいの?? 全部虫歯とか言われたらどうしよう……と半分ベソかきの内心で時が過ぎるのを待った。

 そして言われた言葉は「独特の噛み合わせだね」だった。全部虫歯とかじゃなくてよかったけど、噛み合わせを「独特」と表現されたことはなんだか微妙な感じがした。

 麻酔をして、少し削って、埋めてもらった。埋まった。よかった。たった3000円弱で穴を埋めてもらえるなんて、ありがたいことだと思った。乳歯、大事にします。

 

 麻酔がかかった状態で外に出るの、なんであんなに気恥ずかしいんだろう。

 効果が切れるまでに2時間ほどかかった。かかったままの時にうがいをしたら、くちゅくちゅにあわせて水がぴゅっと出てまた恥ずかしくなった。ひとりだけど。

どの椅子に座ろうか

 「君は何がしたいの?」

 これまでにも何度もなんども問われてきた言葉だ。他人からも、自分からも。そしてずっとうまく答えられずにいる。今も。

 

 

 6月に京都のカルチャーを発信するウェブメディアであるアンテナのライターになった。文章を書くのが好きだったのもそうだが、ライター募集のページを見つけた時に「ああ、応募してみるしかないな」と直感的に感じたからだった。面接を兼ねて編集長と副編集長とお茶したときは、特になんにも持っていない自分で対峙することに緊張したけれど、2人の目を見て、話を聞いて、この人たちに、この人たちがやることについていってみたいと思った。

 

kyoto-antenna.com

↑とてもいいインタビューなのでぜひ。

 

 それからはちょくちょくアンテナでの集まりやミーティングが入るようになり、他のメンバーとも顔をあわせるようになった。アンテナの特徴として、ウェブメディアだけどライターだけじゃなくてデザイナーやカメラマンが多いところが挙げられる。いろんな分野の濃い人たちが集まっているところだ。そんな人たちと会って話をするようになって、とても刺激になるし面白いのだけど、それと同時に自分の拠り所のなさというか、何ができるのか、何が好きなのか、みたいなことの薄さのようなものを感じた。みんな好きなものへの深さが段違いで、とてもじゃないけど太刀打ちできない。何が好きで何を発信したいのか、みんなわかっているように見えた。

 そしてそこでもやはりあの質問が投げかけられる。

 僕にはまだ答えられなかった。

 

 

 昔からこれといってはっきりとした夢を持ったことがない子供だった。興味のあることはたくさんあったし、勉強だって嫌いではなかった。でも興味の方向が次々に移っていく、いわゆる飽き性でもあった。だからあまり深く掘り下げられないまま、次に行ってしまうことが多かった。ミーハー気質なのだ。全然それは悪いことではないと今でも思っているけれど、ディグりにディグりまくっている人たちを前にすると、もうお手上げ状態になってしまう。そんな自分に対して悔しさより先に恥ずかしさがきてしまうのだからタチが悪い。ミーハーなくせにミーハーであることがバレるのは怖いのだ。高校までは自分のミーハーさが露呈することはなかったけれど、もういよいよ岐路に立たされている。

 これはきっとスタンスの問題で、ミーハー万歳!と振り切るか、やっぱり太刀打ちしていきたい!と振り切るかのどちらかなんだろうと思う。もちろん後者になればいいだけの話なのだが、この世には本も映画も音楽も、ありすぎるのだ。これは人生における大きな、けれどささやかな絶望の一つだと思う。何をそんな当たり前のことを、とも思うし、そんなこと言ってねえでまずは重い腰を上げろや、とも思う。いろんなスタンスがあることを理解しているからこそ、自分の中にもそれらが渦巻いて定まらない。スタンスが決まれば切り捨てられるものもあるのに、決まっていないことに無駄に振り回されるのは、ほんとに徒労だとわかっている。

 だけど、もう少し時間が欲しい。これはきっとこれからの僕にとって大事なことなんだと思う。

 

 

 この頃は、自分のやりたいことの方向性が見えてきたかな〜?と思ったりまた迷子になったり、の繰り返しだ。

 一つ確かなのは、何かを人に伝えることがしたいということ。何なのか、どういう手段でなのかはまだはっきりとしない。でも、伝える側に回って、人の心を動かす仕事がしたい。それだけは確かに思える。

 いま一番やりたいと思っていることはデザインを学ぶことだな。クリエイターと一緒に何かを伝える仕事がしたい。ほんとは自分がクリエイターになりたいけれど、まだ何も手がかりがないからまずは1.5次的なところからだな。

 

 

 とりとめもないのにウジウジした文章になってしまった。

    全然関係ないけど著者近影でも貼っておこうかしら。

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by id:ilpc-hryk