九六フィートの高さから

それとなく落下 相対速度は限りなくゼロ

ラはソの次の音

今日も授業があった。今日の先生はこの一年間フランス語の文法を教えてもらっていた先生だった。専門としてはフランス思想をやっている先生で、フーコーや、ジャン・ウリという精神科医の思想を引用しながら、多様性を阻害するものについて考える授業だった。簡単に言えば、集合体に属していることが多様性の基盤にはなるけれど、集合体であるがゆえに知らない間にもその管理と操作を受けていて、多様性を攻撃する、という感じ。知らない間に画一的なレールの上に乗っていた、という感覚は誰しも抱くものだと思うし、自分も大学に入ってから、より逼迫した問題として、常々考えてきたことではあったが、もっと多くの側面で無意識なレベルでそういう多様性からの疎外がなされているんだということに気づかされた授業だった。授業の一環として、映画『サウンド・オブ・ミュージック』の前半部分を観た。全部観せてくれよ。一番有名なドレミの歌のシーンまで。なんかわかんないけど、みんなが一緒に歌ったり統制のとれた明るい動きをしているのを見ていたら、最高!ヒャッホー!みたいな気分になった。早いとこ全編通して観ます。

 

通り過ぎる刹那に見えた青色の小川の中を小さな車が

帰りに電車乗ってぼーっと外を見るでもなく見ていたら、あれはどこだろう、小さくて浅い川の中というか水の上というか、青い車が川の中を進んでんの。車って言っても一般乗用車ではなくて、いわゆる小型特殊車両の一つだと思うのだけど、初めて見たし、通り過ぎる一瞬に見えただけだから、詳しくはわからない。一人乗りの作りで、おじいさんが乗ってた。なんと検索したら良いものかわからない。検索って怖い。すぐ調べられるのってどうなんだろってたまに思う。かけた時間(調べるのにかかる時間というより、頭の片隅滞在時間という感じ)と記憶への残り方が割と比例するタイプだから、すぐ検索するのは短期記憶にしかならないインスタントな行動に思えてならない時がある。懐古主義は嫌いだけど、昔の悠久な暮らしへの憧れはどうしても強くて、最新のiPhoneが欲しい反面、携帯なんてなければいいのにとヤケクソな気持ちになるときもある。極端なんだよな。憧れとか戻らないと!みたいな切迫を感じながら、結局は俗な未来を捨てることはできないんだろうな。でもそもそも楽観的なのと、語るなら未来を、じゃないけど、未来は希望を持って語って欲しいと思っているところがあるので、憧れは憧れで心の片隅にずっと滞在してもらって、ここは捨てないぞという選択をして、生活をしたい。何言ってんだ。支離が滅裂。寝ます。明日で大学の授業も終わり。早起き頑張る。

鬼と福とのリプレイスパーティ

昨日は友人の家に泊まった。一日遅れの恵方巻きもどきを各々作って食べた。恵方も向かなければ黙りもできずに。A4コピー用紙に印刷した鬼とお多福と鈴木福のお面を各々付けてアー写を撮った。その後眠るも定期的に目が覚めてしまう。隣に眠る友人の不規則な寝息を聞いて再び眠った。起きる時刻の少し前にまた目が覚めてしまったので、そのまま起きて身支度をして、起きた友人に礼を言ってひとりアパートを出た。

 

大学の集中講義があり、日曜の誰もいない校舎へ向かう。授業でトルコ系ドイツ人映画監督の『おじいちゃんの里帰り(邦題)』を観た。これがとてもいい映画で、泣いてしまった。トルコから出稼ぎ移民としてドイツに渡った家族の物語で、移民というデリケートで根深い問題を扱いながらも、それを包むもっと大きな家族愛というテーマを併せ、さらにコミカルで軽妙な展開もあいまって、明るくて心温まる作品になっている。移民問題とか不勉強で知識もなくてわかんないなとおもうけれど、こういうライトな作品を入口に、身近な問題として想像できるのはありがたいことだなあ。

 

昨日別の友人と初めて葉ね文庫に行って、短歌の本を一冊買った。『桜前線開架宣言』という本。

 

 

桜前線開架宣言

桜前線開架宣言

 


70年以降生まれのいろんな現代歌人の歌を読めるので、初心者の私にもってこいだろうと思って買ったけれど、ほんとうにもってこいだった。ばっちこいだった。まだ最初の大松達治と中澤系しか読んでいないけれど、楽しい。両方歌集が欲しくなってしまったのであとが怖い。たった31文字でいろんな(もっといい語彙が欲しい)心象風景を見ることができるのが、なんちゅうこっちゃ、という感じ。好きな歌がいっぱいあって楽しい。味わう感情はもちろん楽しいだけではないのだけれど、すべて含めて楽しい。 いい世界。

バイトと配当

一月が終わってしまう。

その前にバイトのことを書いておかなければ。

 

大学生になって、10月になって、

やっとバイトをする決心をして、

11月から1月半ばまで、

某大手雑貨屋チェーンの文具売り場で働かせてもらった。

最初はレジ打ちだけ、途中からは手帳担当に配属された。

 

これが初めてのバイトだった。

バイトとしてどういう立ち振る舞いをしたらいいのか、

従業員としてお客さんの前にどういう顔をして立てばいいのか、

本当に分からなかった。

 

レジ打ちも最初は自分でも驚くほど緊張して、

上手く喋れないし上手くお釣りも渡せない。

敬語も想像以上に自然に口から出てこない。

しまいには「いかがなさいましょうか」なんて意味不明な、

それ誰に敬意の方向向いてんの?という言葉が口から飛び出る始末。

これはさすがに言った直後に自分でも笑った。

 

仕事はレジ打ちか、手帳の整理整頓と品出し。

あとはその時その時に頼まれたことをやる。

お客さんが出した手帳を綺麗に戻し、戻し、戻し、

見本だけになっている商品があれば在庫を出し、出し、出し、

お客さんのお問い合わせにアワアワしながら走り、走り、走り。

 

働きながら考えるのは、

こんな単純作業だけの仕事は辛いな、ということ。

バイトだからこそ簡単な単純作業しかできないわけで、

仕方ないというかバイトなんてそんなものだと思うけど、

もしこれが一生の仕事だったら、と思うと、

それはやだ!!とばかり思っていた。

 

でも、売り場に立ってお客さんに直に接する仕事を初めてして、

自分の対応にすぐに反応が返ってくることは勉強になった。

自分の対応次第でその反応は変わる。

下っ端だから分からないこともたくさんあるけど、

ちゃんと丁寧に対応すれば、優しく待ってくれるし、

単なるレジ打ちでも、知らない人とでも、今自分はこの人とコミュニケーションをとっているんだと感じる時があって、そういう時は嬉しい気持ちになる。

 

あとは途中で入ってきた同い年のバイトがめちゃくちゃフランクなやつで、

羊と人間のハーフみたいなコミュ力おばけだったけど、

そいつはこれまでにもコンビニとか回転寿司とかでバイトしてきたみたいで、

この店は先輩がちゃんと働いててびっくりした。

って言ってて、そうなのか!!とこちらが驚いた。

僕はこの店の環境しか知らなかったから、こういうものかと思っていたけれど、

かなり働きやすい環境だったようだ。

 

確かに、周りの先輩たちはみんないい人だし、

僕は単純作業ばかりでつまらなくないのかな?と思うけれど、

みんな割と活き活きとしていた。

 

二ヶ月働いて、つまらない、こんな仕事ずっとはできない、と思っていたけど、とても勉強になったし、十分に働けたかな、多少は役に立てたかな、と思えたし、何より世の中の働いている人たちを間近で見られたのはいい経験だった。

小売業は大変なお仕事だけど、やっぱりどうしても必要な役割だし、

人と人とのやりとりはこの世界の基本だなと思った。

 

お勤め人はすごい!

 

二ヶ月間頑張って稼いだお金で、僕は京都に下宿します。

もちろん親に出してもらうお金の方が多いけど、家具とか必要なものはできるだけ自分で出したいと思っている。

一人暮らしは、一つの挑戦で、どうなっちゃうんだろうという不安もあるし、自分と見つめ合わなきゃならない課題がどんどん山積してきていて、この一年は自分が大人になる上でとっても大事な一年になりそうな予感がすごい。

示唆に富んだ出来事が新年早々多くて参っちゃうね。

 

また新しいバイトも探さねば。

頑張ります。生きるぞ!