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九六フィートの高さから

つれづれなるままに

淵に立ってる

映画を見た。『淵に立つ』という作品。浅野忠信が主演になるのかな?エンドロールの最初の名前は浅野忠信だった。

ある家族のもとへ1人の男がやってきて、あらゆる物事が歪んで崩れていくお話。

全然ハッピーなお話ではなく、全てがスッキリする展開もない。見るものを打ちのめすタイプの映画だった。

 

タイトルの”淵に立つ”という言葉は自分にとってすごくしっくりとくる言い回しで、それはこの作品の物語にとって、というよりも僕自身にとって、僕がしばしばとらわれる感覚にとってしっくりとくる、という意味。

つまりはギリギリのところに自分がいるんじゃないかということなんだけれど、それはそれ以上でもそれ以下でもなく、自分は今たまたま生きていられているな、という事実。そこにありがたいとか感慨みたいなものはなくて、ただその観念に五感が取り憑かれてしまってぼーっとしちゃうだけなんだけれど。

でも普通に自分の命を生きている時には、いま自分がどこにいるのかはわかんなくて、だからこそギリギリなんだろうけど、それが見えるのが映画の面白さなんじゃないかなと思ってる。

映画の中の登場人物たちは、彼ら彼女らの自分の命を生きているから、自分がどれだけギリギリのところにいるのかは見えていない。でも僕らには見えている。視座が限りなく神に近いから。だからこちらはその切実なギリギリさに心を使ってその作品を受容するんだなあ、と。

他人の人生を見せてもらって、そのギリギリな切実さに心を燃焼させることこそ、僕が物語を食べる理由なんだろうな。