すり込みBGM
昔からうちはずっとテレビがついている家だった。
誰が見てるわけでもなく、ただBGMとして、テレビから音と光が垂れ流れていた。
どうでもいいバラエティ番組とか、びっくりするほど長い健康食品の広告だったりもしたけれど、うちには大好きなものを繰り返しつける、ちょっとオタクな気質があった。
感覚としては好きなCDを何度もかけるのと同じで、もう何もかも覚えているくらいなんだけど、聞いていて、見ていて、とっても心地好い。そういう意味でBGMだったんだな、といま振り返って思う。
僕が小学生の頃から好んで流されていたのは、ラーメンズの公演のDVDと『水曜どうでしょう』だった。
【公式】水曜どうでしょうDVD第23弾「対決列島~甘いもの国盗り物語~」
どちらも僕と同世代の人たちはあまり知らないと思う。ちょっと前の世代って感じだと思う。
どちらも母親の趣味でつけていた。
どちらも「笑い」なんだけど、でもよく考えたら性質的には真逆の位置にあるふたつかもしれない。
前者は緻密に作り上げられた笑い。
後者は行き当たりばったりのデタラメな笑い。
両極端な笑いを自然に受け入れてきていた。
それがすり込みのように僕と、僕の妹にはこびりついていて、いまも、きっとこれからもずっと、好きなんだろうなと思う。
BGMとして、っていうのは、ほんとに文字通りの意味で、テレビでラーメンズのDVDを流したまま寝る、みたいな。
それが一番心地よく眠りにつける。落ち着くのだ。
人の会話が聞こえているのってけっこう落ち着く。
ラーメンズはきっと、絵本の読み聞かせが小さな子どもにとって心地好いのと同じなんじゃないかな。
その中の世界は、楽しいも怖いもあるけど、もうこちらはセリフを覚えているくらいだから、安定している。
安定した世界に触れながら眠る。
それほど落ち着くことはないだろう。
どうでしょうの場合は、あのバカみたいなパーティ(仲間という意味のほうの)の一員になった気分になれるのかな。
どうしようもないんだけど、それがどうしようもなく心地好い、みたいな。
あと藤村さん(番組のディレクター)の笑い声があっけらかんとしていて気持ちがいい。
眠る前って、どうしようもなく、どうしようもないことをえんえんと考えてしまうから、そんなBGMがあるといいのかもしれない。
人生には、生活には、BGMが必要だと思う。
日々の生活の中に、自分の感情とかモヤモヤした思いみたいなものを仮託できるものがないと、自分の中に膿が溜まって来てしまって苦しくなってしまう。
眠れない夜がどんどん増えてしまう。どんどん深くなってしまう。
BGMは何も音楽だけじゃなくて、さっき書いたような大好きなDVDとか、漫画だってそうだし、小説も、映画だってそう。
必要なのは物語なのだ。
音楽も、コントも、旅番組も、漫画も、小説も、映画も。みんな物語なのだ。
それ自体が物語の形をしていなくても、みんな物語性を内包していると僕は思う。
そこにある物語に、その世界にトリップする。
自分のじゃない世界にエスケイプする。
自分の世界しかないと、どうにも生き辛く感じてしまうから、自分のじゃない世界を、身近に持っておくのは、僕にとってはすごく大切なことなのだ。
そこにある物語は、きっと僕たちを、僕たちの心を強くしてくれる。僕はそう信じられる。
だから物語を摂取し続ける。
自分のじゃない世界をBGMにして、目の前の自分の世界を生きる。
みなさんのBGMはなんですか。
何を身の回りに鳴らして、生きていますか。
完ぺきにダメな日
今日は完ぺきなまでにダメな日だった。
11時まで寝て、お風呂入って、朝ごはん食べて、洗濯して、昼ごはん食べて、そのあとは時間を溶かしていた。
学校にも行く気になれず、みんなサボってしまった。別に嫌な授業でもないし、行きたいのは行きたいけど、体を動かせない。
あー、今日はダメな日だ。
めちゃくちゃ言い訳のような言葉だけど、ぜったいにダメな日ってありますよね。
何をどうしても何もできない、何もしたくない。
体調が悪い時もあるけど、そうじゃなくてもダメな日は突然やってくる。
しょうがないことだろうと思っています。
そういうときはもう寝転んでダラダラするしかない!開き直る!ようにしてます。
なんか急に鼻血出てきた…
鼻血って出ない人は出ないらしい。
母親は人生でも数えるほどしか鼻血が出たことがないらしい。
僕はけっこうプロなので、出る時は「あ、来た!」とわかるのでその辺に垂らすことなくティッシュに迎え入れることができる。
何回か、寝てる時に「あ、来る!」と予感がして、無事に枕を赤く染めることなくまた眠りにつくことができた、という経験もある。
けっこうプロなんです。
鼻血プロと呼んでもいいよ。振り向かないけど。
鼻血の急襲で話が逸れた。
どうしようもなくダメな日の存在はぜひ認めてあげましょう。
というか否定されたらやだなあ。しんどい。
だから僕は、あなたの「どうしようもなくダメな日」もベラボーに認めてあげます!
いえい!
だってしょうがないだろ!無理なもんは無理!
もしかしたら、「どうしようもなく濃い日」との釣り合いのためにあるのかなーと。
僕の先週から週末にかけては濃すぎたので、そのツケというか、「お前、一回休め」と神さまにいわれているのかなーと思う。
そういうことってあると思いませんか?
あると思います。
でも俺は!最終的には!「濃い日」優勢で勝ちたい!
判定勝ちくらいでいいので!勝っていこう!
窓際さんの「真人間チャレンジ」にも通底するところがある気がするな。
いいブログです。
おやすみなさい。
バースデイ
おとといは誕生日だった。
前回の投稿で書いたように、今年の誕生日は映画館で、『イット・フォローズ』というホラー映画を見ながら迎えた。
『イット・フォローズ』、めちゃくちゃ怖くて、誕生日だというのに寿命が8年縮んだような気持ちになった。もう音とかすごくてやめてくれと思った。
あまりにも救いようのない設定でなかなか辛かったな…
そのあとは、グザヴィエ・ドランの『わたしはロランス』と、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』という作品を見た(ちょいちょい結構寝た)。
オールナイトで映画を見たのは初めてだったけれど、ちょっとぼーっとしてる頭と、ふかふかの席と、見えるのはスクリーンだけ、みたいな空間で、自分がどこにいるのかわからなくなるような没入感を感じることができて、なかなかいい体験だった。
そんなこんなでそのオールナイトイベントが終わり、外に出ると、完ペキな朝で、見るからに澄み切った空気、澄み切った朝日、めちゃくちゃ朝、みたいな、思わず深呼吸してしまうような気持ちのいい朝だった。
バスに乗って街へ行って、友人に朝ごはんをごちそうしてもらい、またバスに乗って部屋へ帰った。
将来のこととか、高校時代のこととか、たくさん話した。
その友人とは、高校時代に軽音楽部でバンドを組んでいて、その当時の録音を聴きながら、「かなりいいな〜〜」とか自画自賛を繰り返し、笑った。
すると突然玄関のベルが鳴り、ドアを開けると、大きな箱を持った配達の人が立っていて、見ると、その友人を含め、高校時代のバンドのメンバーからの贈りものだった。
聞くと、それを受け取るところを見届けるためにうちにまで来たのだとか。
笑ったし、嬉しかった。
贈りものは、きれいな器とコップのセットだった。
白やグレーや緑や黄色やネイビーの、しっとりとしていて、あたたかさを感じる陶器の質感がすばらしくすばらしい、それでいて生活に寄り添っているような、もうとんでもなくかわいい食器たちだった。
思わずそれら専用の棚をこさえるために棚の整理をした。
うつくしいでしょ。
今日の朝ごはん。たまらんね。
そのあと、その友人とは別れ、しばし仮眠をとり、夜は別の友人たちとクソゲーに興じ、ご飯に行って、バーに行って合法飲酒をして、鴨川で歌ったり黒ミサをしたりすね毛を燃やしたり(くさい)した。
なんとなくおまわりさんを避けるように友人の部屋に戻り、ケーキをごちそうになった。フチに山椒みたいなツブツブが乗っているかわいいチーズタルトで、すごく美味しかった。
スーパーにクレイジーアンドナイスな強烈な夜になった。楽しかった。うれしかった。
そのあとはすぐに寝てしまった。
朝起きて、その部屋の友人に置き手紙を残して、自分の部屋に戻り、身支度をして、大学へ行った。
昨晩は高校、大学とずっと先輩である先輩(仲良し)に近所の定食屋でご飯をごちそうしてもらった。近所だけど行くのは初めてだった。
これまでのそんなに長くはない人生で、あんなに大きなハンバーグを食べたのは初めてだった!おいしかったけど、お腹いっぱいになりすぎて、部屋に戻ってからもずっと、お腹いっぱいや、苦しい、って二人して言い続けていた。
サシであんなに話し込んだのは初めてだった。いい夜だった。
家族と過ごさない誕生日は初めてだったかもしれない。
人にお祝いしてもらうのはとってもうれしいけれど、実は同じくらい、もしかしたらそれ以上に、人をお祝いすることもとってもうれしい。
僕をお祝いしてくれた人たちも、僕と同じくらい、それ以上にそういう気持ちになってくれていたらいいな、と強く思う。
そう思ってもらえるような人になれたらいいな、と強く願う。
最後に、一曲、大好きなバンドの、僕が一番好きな曲を紹介します。
Galileo Galileiというバンドの、その名も『Birthday』という曲です。
Galileo Galilei『Birthday Studio LIVE』
ガリレオは本当に大好きなバンドで、高校時代にもコピーを何曲もした。
昨年、彼らはGalileo Galileiとしての活動を終了してしまった。
そのラストライブ、武道館公演に行ったのだけど、その公演でもこの曲を演奏してくれた。
恥ずかしいほど泣いてしまった。
ライブを見ていて、泣きそうになったり、目が潤むことはけっこうあるのだけど、この時はなんだたもう、いろんな感情が込み上げて、ウェンウェン泣いてしまって、人に顔を見られないようにしていた。
いい曲なんです。すべてが完ペキ。
もはや宗教的なまでの美しさというか。詞もそんな感じがするし。
ライブでは、最後の「いったい僕は何になるんだろう?」というフレーズを、1オクターブ上げて張り上げて歌うんだけど、それがほんとうに胸に刺さる。
ぎゅーーーってなっちゃって、つらい。
ほんとうにうつくしい曲なので、ぜひ聴いてみてください。
いったい僕は何になるんだろう?